その1 |
南はこの春から高校生になった。濃いグリーンのジャケットにチェックのスカート。制服にあこがれて入った念願の高校は都内でも結構なお嬢様学校だ。女の子ばかりなのが南にはうれしい。
南の薄茶色でゆるくウエーブのかかった髪は生まれつき。去年まで肩上くらいに切りそろえてあった髪を、今は伸ばしている最中だ。(学校の規則で髪を二つに結わえなくてはならないから。)きめ細かな肌はぬけるように白く、まるでお化粧でもしているかのように見える。「おまえ、化粧なんかして来るな!!」と小学校の新任の先生にいきなり注意されたこともあった。子供らしくない美貌のせいで、小さい頃から道行く人もよく振り返った。南にはいやな思い出にしかなっていない。南は、自分の容貌が嫌いだった。
中学に入ると男の子にはよく告白された。南の返事は決まってNO。友達がもったいないとうらやもうが、かわいそうと言おうが、いつもきっちり断り続けた。やっと女子校に入って、これからはもう煩わしいことも無いのだと思うと、学校に向かう足取りも軽かった。
今日は金曜日。チャイムが鳴っていつものお弁当タイム。金曜日のせいか何となく教室中楽しげな雰囲気だ。 「ねぇ、南。今日帰り、あいてる?」
お弁当の包みを持って駆け寄りながらメグミがそう声をかけてきた。入学式以来、明るい性格のメグミは何かと南の面倒を見てくれる。南は高校からの新入生だけど、メグミは中学からこの私立なのでいろいろと詳しくて、助かっている。
「なに?」
「あのね、洒落たお店見つけたんだ。ティー・ルーム。行ってみない?」 「どこに?」 「えーっとね、・・・・」 メグミの情報を聞きながら、お弁当の卵焼きをほおばる。この卵焼きは今朝お父さんが作ってくれたものだ。
5年前祖母が亡くなってから、南は古い大きな屋敷でお父さんと二人暮らしをしている。まだ小学生だった南のために、父親は否応なしに家事をやるようになった。今では南だって自分のお弁当ぐらい作れるが、たまにこうして自慢の卵焼きを作ってくれる。二人で立つ朝のキッチンは結構楽しい。南とパパは近所でも評判の仲良し親子だ。「ファザコンミナミ」と、男の子の誘いを断るたびに友達にもからかわれたっけ。
そして放課後、南はメグミとそこへ行ってみることになった。いつもの駅の横をぬけて反対側のこのあたりは、瀟洒な住宅街の中に洒落たお店が点在している。こっちの方へ来たのは南は初めてだ。新緑の街路樹からこぼれる5月の光。整備された広い歩道。車道はそんなに広くないので、車はゆっくりと過ぎていく。 「もうすぐよ!え〜っと、その先の角を曲がったらたぶん左手にあるはずっ。」 「あった!ほらそこ!」 メグミの指さす方には、白い洋館。 「えっ、ここ?」 「ほらあ、看板あるじゃん。小さいけど。」 本当だ。一見普通の家の入り口に、ちゃんと看板があった。
〜〜 Earl
Gray
Tearoom 〜〜
入り口のドアまで緩い階段が3段。階段の両脇は赤いミニローズで縁取られ、その奥の花々からも何ともいえない良い香りが漂ってくる。二人は少しどきどきしながらドアを開けた。
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その2 |
「いらっしゃいませ」 右手にはカウンター、左手にテーブル席。シックな家具でまとめられた店内に、明るい光が降り注いでいる。テーブル席の向こうには一面のガラス窓、見上げてみると天井の一部まで窓が続いている。窓の外には花々に囲まれたテラス。南とメグミは、奥から二つ目のテーブル席についた。
「ね、洒落てるでしょ」 「うん。目立たない看板のお店なのに、けっこう人来てるね」 「何にする?私のど乾いちゃったからアイスティーにしようかな」 メグミはそう言いながらメニューをのぞき込んだ。 「え〜、アイスティーだけでこんなに種類があるの?
どうしよう・・・・じゃあ、おすすめの中から・・・・これにする。おまけ付きだって。南は?」 「私は、ホットティーがいいな。うん、こ・れ」 南が指さしたのは『★今日のおすすめ★ アールグレイ
with
プチスィート』だった。
「おまけって何がついてくるのかなあ。楽しみ!」
程なくして、二人の前に注文した飲み物がきた。アイスティーのおまけは小さな半透明のかわいい砂糖菓子。ホットティーのおまけはサクサクの手作り風ビスケットだった。 ウエイトレスは、南の前に、紅茶入りのガラスのポットと空のカップとそして一緒に持ってきた砂時計を置いた。 「こちらの砂時計が終わる頃、ポットの中央を押し下げていただくと、それ以上濃くならないで、おいしくお飲みになれます」 ウエイトレスはそう付け加えると、帰っていった。 透明なポットの中で紅茶の葉が踊っている。砂時計の砂が全部落ちた頃、南は今聞いたとおりにしてから、ティーカップに1杯目の紅茶を注いだ。
なんだろう。変わった香り。でもなんか、とても懐かしいような気持ち。
南はしばしカップを唇に寄せたたまま、香りだけ味わっていた。
・・・・いい香り・・・・なんでこんなに幸せな気分になるの?
「南?飲まないの?それ、だめ?」 メグミの声にはっとする。 「ううん、いい香りだなあって思ってたの」 南はそれを一口、口に含んだ。うん、味もいい。
「アールグレイでしょ。ここのは中国茶とインド茶のブレンド茶で、ベルガモットの香料が入ってるのでありますよ」 「ふ〜ん、メグミ、詳しいんだ」
「・・・・ここに、書いてある。実は読んだだけ!」 「な〜んだ」 二人はひとしきりおしゃべりを楽しむと、それぞれ帰途についた。 帰り道、南は、乗り換えのターミナル駅の地下で、アールグレイの茶葉を探した。今夜お父さんにも入れてあげよう。懐かしくって幸せな気分になる紅茶。南は足取りも軽く家に向かった。
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その3 |
「お父さん、今夜は食後のお茶、紅茶でいい?」 「いいけど?」 「いっつも日本茶じゃなくってもいいよね」 南は、ウキウキと準備していた。 (あのあと、ちゃあんとネットで、おいしい紅茶の入れ方調べちゃったんだからぁ。くみたての水を沸騰させて・・・・っと) 「はい、どうぞ!これはー、幸せな気分になれる紅茶です!」 「ん?ありがとう」
しかし南の父の誠一郎は、その香りに気がつくなりびっくりした表情を浮かべ、まじまじと南を見た。 「南・・・・百合子の、いやママがいつも入れていた紅茶、覚えてるのか。いや・・・・覚えてるわけなんてないよな。あれが出ていった時、お前はまだ2歳にもなってなかった」 誠一郎が、そんな話をしたのは、初めてだった。おばあちゃんがママの話をするのはひどく嫌がっていて、おばあちゃんが亡くなってからも、そのままずっとタブーのようになっていたから・・・・。南に、誰も何も教えてはくれなかった。そういえば写真すら見たことがない。 しばらくして誠一郎は、紅茶の香りに誘われるように、話し始めた。 「これはお前のママがとても好きだったお茶だよ。くせがあるからね、よっく覚えてる。・・・・ずっとママのことは、ばあさんにも内緒で探していたんだよ。でも、なかなか見つからなかった。ママには遠い身寄りしかなかったし、どこにも行くところなんてないはずなのに。あとで知ったんだが、ばあさん、百合子には相当つらく当たってたらしい。そんなに追いつめられてるなんて、そのころの僕は、気がついてやれなかった・・・・」 南は唖然とした。 (じゃあ、じゃあ、おばあちゃんが追い出したの?あんなに南には優しいおばあちゃんが?おばあちゃんが言っていたことと違う) 南は『幸せな気分になれる紅茶』を入れたことを少し後悔していた。
ひと息ついて、誠一郎は、また話を続けた。
「それがね・・・・去年、やっと、見つけたんだ。実はもう何回か会った。でも、お前を置いて出たことをとても後悔していて・・・・お前に会う勇気がないって言うんだ」 「えっ・・・・」 「どうだろう南、ママに会ってみないか?」 「あ・・・・」 まるで何かで頭の中をグチャグチャかき回されているようだった。
すぐに返事のできない南を、誠一郎はじっと見ていた。 やがて、南の頭の中をかき回していたものが、徐々に一つの言葉に変わってく。 (会いたい・会いたい・会いたい・会いたい・会いたい!!)
その言葉だけが今、南の頭の中をぐるぐると駆けめぐっていた。だんだん胸が苦しくなってくる。必死で息をつくと同時に、小さな声でその言葉をはき出していた。
「・・・・会いたい」
「よし、来週の週末、連れてくるよ。」 そう言うと、誠一郎は居間の古びたソファに背中をよりかけて、少しぬるくなった紅茶を口に運んだ。
南は、しばらくぼーっと固まっていたが、ふと気がついて、つぶやいた。 「どんな人なのかな。私、写真も見たことないんだもの」 誠一郎は、部屋の隅にかかっている鏡の方を指さすと、こう言った。
「鏡、見てごらん。お前は百合子にそっくりなんだよ。もう少し髪が長くなったら、まるで生き写しだ」
部屋の中には、アールグレイの紅茶の香りがいっぱいに広がっていた。変わった香りの、なぜか懐かしくって、そしてちょっと幸せな気分になれる・・・・紅茶。
(完)
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